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月刊JGAニュース

暴れん坊将軍の目安箱  

 昨今、医薬品産業に限らず、広く民間企業において、コンプライアンス・ガバナンス強化のための手段の一つとして、「目安箱(通報窓口等)」が設置されている。しかし、実際の活用状況についてはバラつきがあるよう思われるし、ただ箱を設置すれば良いという簡単な話でないことは、多くの方がお感じだと思う。

 そこで、一旦、そもそも、「目安箱」にはどのような歴史があるのか?元々、設置された“背景”や“想い”について僅かながら歴史を辿り、現代を生きる私たち一人一人の“あり方”にヒントを得たい。

 まず、目安箱の起源は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗(幕府中興の祖として、名君との誉れ高い将軍。彼が庶民の中に飛び込み、一介の若侍・徳田新之助と名乗って悪人どもを懲らしめるTVドラマシリーズは高い人気を博した)が、享保改革の一環として、“一般庶民の幕政に対する意見を求めるため”に評定所(江戸幕府の中央機関)前に設置した投書箱であったとされる。また、一般的に目安とは、読みやすく箇条書きにした文書のことを意味するが、江戸時代では主に「訴状」を指す。
 目安箱に投書したい者は、毎月3回決められた日の午前中に江戸城外(和田倉門外・辰ノ口)の評定所前の箱に入れる必要があったようで、後に、京都、大坂、甲府、駿府(静岡)でも、幕府への投書が出来るようになった。書面には“住所と氏名を記すことが義務づけ”されており“匿名の投書は受け付けられなかった”という。住所氏名が無いものはすぐに焼き捨てられた。
 目安箱に入れられた意見書は、直接、将軍自ら内容を確認し、当時、貧しい病人のための療養施設である小石川養生所が設けられたのは、小川笙船という町医者が目安箱に投書したのがきっかけとされている。一介の町医者の要望が将軍に届き、さらにはその意見を将軍が聞き入れて実行に移すなど、それまでの幕政では考えられないことだったようだ。

 また、中には、幕政や役人を批判する投書もあった。紀州の浪人・山下幸内は、「倹約令は全体の経済のためにはならないのではないか?」とか、「将軍が鷹狩りを盛んに行うせいで、現地の百姓は大迷惑だ!」とか、「御政道」ばかりか将軍自身をも批判する投書をしたとされる。目安箱の制度があったからこそできた意見具申と言えるが、仮にこのようなことを吉宗以外の将軍に対して発言したならば、死罪になっても文句は言えない。
 ところが吉宗はこれらの意見に対して「よく言ってくれた!」と、山下幸内に褒美を出した。まさに、

“吉宗の度量の広さ”を表している出来事とされる。

 目安箱には、実際に一般庶民の声を幕政の参考にすることのほか、こうした制度を設けることによって“庶民の不満を和らげる”、“役人の不正や怠慢を防ぐ(役人自身が庶民から訴えられやすくなるため)”という効果も見られたとされている。

 「目安箱」が真に意味を成し活用されるためには、正義感が強く、“度量の広い”徳川吉宗役と、将軍の度量を信じて、正義感を持ち、“勇気ある投書”をする山下幸内役が必要であることを、歴史を紐解きあらためて教えられたように思う。自身の中の“正義感”と“勇気”を奮い立たせるべく、久しぶりに「暴れん坊将軍(TVドラマ)」が観たくなった。

(S.S)

(参考元)
~幕末トラベラーズ~日本史用語集
https://www.japanserve.com/nihonshi/n-reki-050-meyasubako.html

コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E5%AE%89%E7%AE%B1-141688

NHK その時歴史が動いた「徳川吉宗-暴れん坊将軍」

 

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