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月刊JGAニュース

光製薬株式会社  

 最近、ふと思うことがある。

 私の自宅は都内屈指の観光地である浅草から少し離れた、閑静というよりも寂れたという表現が正しい住宅街の中にある。
 なんでも昨今はその辺りも奥浅草などと洒落の聞いた名称で呼ばれているようであるが、浅草寺よりも吉原山谷の方が近い地域に何をか況や。

 そんないわくつきの場所に建設ラッシュ、バブルとでも言うべき波が来て久しい。
 どのような波かと言えば、マンション建築の波である。

 コロナ過が日本を襲った19年末を皮切りに、自宅の周囲に建てられたマンションの棟数、実に65棟。
 自宅周辺を散策していて何気なく気が付いたものを数えた数であって、その実数はさらに多いのは間違いないと思う。

 徒歩20分弱を要するとはいえ、最寄り駅は銀座線の始発駅である浅草駅。
 日本橋や銀座、新橋、虎ノ門と、都内中心部に勤務地のある方々からすれば利便性は極めて良好。

 もはや在宅勤務が当たり前になったこのご時世ではあるが、全く通勤する必要がなくなったかと言えばそんなはずもなく。のんびりと座って通勤できる快適さは、一度経験してしまえば手放すのも難しかろう。

 問題があるとすれば、浅草という土地が目黒や碑文谷、三軒茶屋といった23区南西部の有名どころに匹敵するほど地価が高いということ。
 そして新たにマンション建設がなされた土地の多くが、消費低迷によって廃業した製靴業の会社跡地に建てられたものであるということか。

 浅草北部、江戸歌舞伎発祥の地などと呼ばれている辺りは、実は江戸末期から昭和中期にかけて紳士用洋靴の一大生産地となった場所で、最盛期には国内市場の過半を供給していたというが、残念ながら令和に入ってより急速に数を減らしつつある。

 弊社の本社ビルの前にも国内最大手の一角を占めていた靴の商社の本社があったのだが、その場所も今ではマンションの建設予定地になっている。

 とかく、ある程度の土地が開けば雨後の筍よろしくマンションが生えてくる。
 それも地盤の問題だか建築基準法上での境界なのか、あるいは建設コスト上の制約なのか、揃いもそろって10階から11階建て。
 更にコストの関係なのか流行りなのか、見た目まで双子か何かのように似通っている。 ほんの数年前まで、自宅の屋根上からは隅田川の花火大会を観ることができた。

 しかしコロナ過で大会の開催が延期されている間に押上のスカイツリーも花火大会の打ち上げ地も、新たに建てられたマンションの影となり見ることがかなわなくなった。

 自宅のベランダから花火大会が見れますとの謳い文句とイメージイラストで新規居住者を求めていたマンションの正面に、新たなマンションの建築計画が持ち上がり同じ歌い文句、同じイメージイラストで居住者を求める滑稽さ。
 そしてそのマンションが完成するころには、またその正面に新たな建設計画が持ち上がっている。

 賽の河原の小石積みを、あたかも現世の箱物で再現しているかのように思えて全く気が滅入る。

 諸氏はご存じのことと思うが、つい最近まで住宅ローンを組むと国から補助を受けることが出来ていた。
 数十年にわたって長引く歴史的低金利の時代、うまくローンを組むだけの信用を金融機関から得ている方であれば、所謂逆ザヤで住宅が手に入るという妙な期間が生じていた。
 本来ならばローンを組むのが難しい一般家庭向けの制度であったものを、うまく利用して資産運用に利用する方々がいたというわけだ。

 結果、都内の不動産価格はバブル期よろしく高騰を続け、日本国民の平均年収では一生かかっても購入できないほどまで膨れ上がってしまったのはご存じの通り。
 まあ、これは日本に限らず世界中の首都で発生している問題ではあるのだが、諸外国のように高いインフレ率の中での住宅価格の上昇と、日本のように極低インフレ率の中での住宅価格の高騰とでは感覚的なインパクトに大きな隔たりが出来てしまうのは郁子なるかな。

 散歩がてら、工事現場に張られた分譲価格に目を走らせて、こんな僻地にこのような価格で誰が買うのやらと眉に唾して見ていたものだ。

 考えてみればコロナ過の前、オリンピック景気に沸いていたころは、浅草周辺はホテルの建設ラッシュであった。
 コロナパンデミックの襲来と延期の上に無観客となった東京オリンピックのお陰で、観光を当て込んだ諸々の投資は『とらぬ狸の皮算用』に終わってしまったものだが、このマンションバブルの顛末はのちの代でどのように語られるものになっているのだろうか。

 とうに分譲・賃貸が始まっていながら、夜半にも一向に灯火の灯る様子のない、暗い大きな長方形の箱物を見て思う。
 さて、この国はどこに向かっているのだろうか、と。

 

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