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月刊JGAニュース

北国での暮らし  

 執筆している2月は日本では1年で最も寒い時期で、この頃に思い出すのは北国での生活です。1991年から仕事で3年ほど旭川に出向しました。北海道にあこがれてダメもとで北大を受験し、見事に振られたことがあり、あの北海道で生活できることを上司と神様に感謝したものです。
 引っ越しした5月の下旬は北海道の長い冬が終わり、春を待ち望んだ花が一斉に咲き、日本とは思えないどこまでも続く緑の草原に感動の連続でした。目の前には大雪山、ちょっと足を延ばせば美瑛の丘や富良野のラベンダー畑と雄大な北海道のロケーションを満喫できました。
 当時は夏場も本当に暑い日は数日で、店や病院はともかく家庭や職場でも冷房のお世話になることがほとんどありませんでした。梅雨もないので、いつもカラッとしており、汗かきの自分としては最適な気候でした。食べ物はどれも美味しく、新鮮なグリーンアスパラ、安価な赤肉メロン、そして柔らかく脂ののった焼き鮭の美味さは北海道ならではでした。
 短い夏が終わり、10月に雪虫が飛ぶと雪が降り始め、11月には春まで溶けない根雪となります。通勤が車だったので、朝の準備が大変でした。フロントはいつも凍っており、お湯をかけないとワイパーが動かず、もちろん雪かきしないと車も出せません。朝、駐車位置を覚えておかないと昼間の雪で完璧に覆われた自分の車がどこにあったかわからなくなります。アパートにはでっかい灯油タンクが設置されており、ファンヒーターと繋がっていて、暖房が点いている室内はTシャツ1枚でも過ごせるほど暖かいのですが、一度、タンクが空になって、ガソリンスタンドも閉まっていた時は絶望とあまりの寒さに死ぬかと思いました。毎朝のルーチンはきつかったけど、今となれば懐かしい思い出です。旭川で3回冬を経験しましたが、1度だけダイヤモンドダストを見ることができました。気温が-20℃以下で、晴れた朝に、大気中の水蒸気が凍ってその細かな結晶が太陽の光でキラキラ輝き、その美しさと息を吸い込むと鼻の奥が痛くなる寒さは忘れられません。先日、ニュースでダイヤモンドダストの映像を見ることができ、当時の感動を思い出しました。
 現在住んでいる関東平野は温暖な気候で、雪が降ることも年に1~ 2回で積もってもすぐに溶けてしまいます。雪かきの苦労は免除されても、桜が一斉に咲く時の喜びはこちらでも十分に味わえます。
 平穏で健康に過ごせる生活は、ウクライナでの戦争、トルコ・シリアでの大地震のニュースを見るたびに、いかに尊いものかと痛感します。世界中の人々が笑顔で春の訪れを喜べる日が来ることを祈らずにはいられません。

(H.G)
 

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