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月刊JGAニュース

箸墓古墳と邪馬台国  

 桜井市教育委員会は2026年2月19日、箸墓古墳の前方部内濠において、築造時のものとみられる「渡り土堤」が発見されたと発表しました。

 忘れていた邪馬台国所在地論争を思い出し、読んでいた本を取り出してみました。
 魏志倭人伝(三国志魏志「烏丸鮮卑東夷伝」の一部)の2000字で、邪馬台国とその女王卑弥呼のことが書かれています。
 そのなかで、邪馬台国の位置について、あいまいで矛盾した記述で、ある一字を誤字だとして修正することで、邪馬台国は九州にある、畿内にあるとの論争が続いていて、決着がつかない。
 マスコミでは畿内説が優勢と言われているようですが、その説では箸墓古墳が3世紀の築造で、卑弥呼の墓の可能性が大とかいわれています。
 築造年代が、周濠でみつかった土器の煤の炭素年代法等での年代決定で、卑弥呼の時代あるいは、卑弥呼の没年ごろに、箸墓古墳が築造されたとの主張です。
 九州説のかたは、炭素年代法等は誤差が大きいので、畿内説で年代を卑弥呼の時代としているのは無理があるとの反論もあります。

 邪馬台国畿内説にとってやっかいな本が、関川尚功氏が書かれた「考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国」(梓書院2020/9/20)という本です。
関川氏は長年にわたり奈良盆地の弥生遺跡を発掘しつづけてきた経験から、弥生時代の大和の遺跡には、中国の魏に朝貢していたような遺物は出てこない。畿内説の邪馬台国の候補地:纏向遺跡は、箸墓古墳築造以前は寂れた場所で、箸墓古墳は周囲で見つかる土器の様式から4世紀以降の築造であると主張され、邪馬台国は大和にはないと主張されています。

 最初にこの本を読んだのと、卑弥呼が古墳時代の人物となる畿内説に違和感を感じたため、本稿の筆者は九州説よりですが、先ほど紹介した箸墓古墳が3世紀の築造であるとの主張も完全には否定できない状況です。
 箸墓古墳の築造年代が卑弥呼の時代まで遡れないと畿内説は危うくなるので、箸墓古墳の築造年代決定は重要なのですが、箸墓古墳は宮内庁が陵墓として管理しており、墳丘の調査ができないため、箸墓古墳の築造年代を確定できる証拠が現在見つかっていないのが現状です。今回の「渡り土堤」の調査も宮内庁の管理地域外で実施されており、築造年代の決定的な判断材料は出てこないのではと思います。

 九州説、畿内説(大和説)以外に、四国説、越前説などなど色々の邪馬台国の所在地の説が発表されています。
 ユニークな邪馬台国ものとして、おおきてつお「マンガ家が解く古代史ミステリー 邪馬台国は隠された <改訂版>」(‎三冬社: ‎ 2022/1/23発売)という本がありますが、著者はアマチュア研究者ということになりますが、魏志倭人伝の、「帯方郡から女王国まで1万2千里」という記載と 「邪馬台国の東に海があり、その70里先に、また別の倭人の国がある」というのを重視すると、邪馬台国は、大分県宇佐市付近にあることになり、魏志倭人伝の卑弥呼の墓の記載と一致する宇佐神宮の岡が卑弥呼の墓ではないかという説を出しています。非常にわかりやすく、謎めいた宇佐神宮の岡に卑弥呼が眠っているというロマン溢れる説ですが、宇佐神宮があるかぎり、発掘調査は困難で、真偽が確認出来ない説となっています。

 「東に海がある」ということに注目すると、大和説、九州説でも佐賀・福岡県が外れることになります。
 いろいろな説があることは、魏志倭人伝のどこかの記載を無視(誤りとして修正する)ことでなりたっているので、考古学遺物により決定されないかぎり、魏志倭人伝の文献学的検討では、決着が付かないと言われています。
 いろいろ読んで決着は当分つかないだろうと判ってきたので、決定的なものが出てくるまで邪馬台国ものからは離れようと思っていましたが、状況は変わらない様です。

 

(S.M.)