場所が変われば
出生率の低下に歯止めがかからず、いったいその原因は何なのか、あるいは男女に子どもを持とうという気持ちを取り戻させるには、どのような方策がありうるのかと、いささか空転気味の議論が折に触れて繰り返される今日この頃である。しかし一方で、場所が変われば景色も変わるもので、故郷の集まりなどに顔を出せば、人の親でない者のほうがむしろ少数派で、こちらがいくぶん場違いな存在であるかのような気持ちにさせられることもある。
以前、旧友のひとりに、子どもを持たぬまま気楽に暮らしていると知れて、お前それで社会のことがわかるのか、と半ば呆れたような顔で問いかけられたことがあった。そんなことを考えたこともなかったので、その場では曖昧に笑うしかなかったのだが、あとになって妙にその言葉が尾を引いた。社会を理解するとはどういうことなのか。ずいぶん大仰な問いではあるが、しばらく考え込まされることになったのである。
なるほど、社会を語るには、まずその現実に触れていなければならない。そして現実というものは、えてして暮らしの細部に宿る。子育て世代にとって医療費の負担は決して軽いものではないし、高齢化が進み医療需要が増大するなか、限られた社会保障財源をいかに持続可能なものとしていくかという問題もまた、少子化論議に劣らず容易に答えの出ない課題である。
そのような中で、ジェネリック医薬品の果たす役割は小さくない。医療の質を損なうことなく患者負担を軽減し、ひいては医療保険財政の安定化にも寄与するという、その意義はすでに広く共有されているはずである。それにもかかわらず、なお時に「安いから不安だ」といった、やや短絡的な言葉に接することがある。
そうした声を耳にするたび思うのは、価格という結果だけを見て、その背後にある品質確保や安定供給への不断の努力が見えにくくなってはいないか、ということである。社会を支える仕組みというものは、それが円滑に機能しているかぎり、しばしば意識されることがない。だが、その“当たり前”を守るために積み重ねられている地道な営為こそ、私たちの医療基盤を形づくっている。
本誌が、その理解を深めるためのささやかな契機となれば幸いである。